2015年5月 町田久成ゆかりの墓地(鹿児島市石谷町)

201505

今年(2015年)は慶応元年に薩摩藩がひそかに英国へ留学生を派遣して150周年にあたる。

その留学生のひとりに町田久成がいる。町田は英国から帰国後、明治政府において外交事務の任に就き、内務省において初めての博物局長に任命された。その際に博物館設置、また植物園と動物園の併設も提唱している。これが現在の東京の上野にある国立博物館や上野動物園である。

町田久成は、藩の家格では「一所持」にあたる領地持ちで、留学生のなかでも身分は高く、藩の洋学機関の開成所でも学頭を務めていた。その町田家の領地が現在の鹿児島市石谷町。町田家の菩提寺であった永福寺跡にゆかりの墓が並んでいる。

町田家がこの地に定着するのは、戦国期の町田久倍の頃で、墓地近くには、かつて居城としていた石谷城もあった。

ただ、この墓地に町田久成の墓はない。

明治18(1885)年、元老院議官に任命されたものの突然に官を辞し、剃髪して全国を行脚する旅に出ている。晩年は滋賀県大津市にある三井寺の住職として生涯を終えている。住職になってからも博物館設置に尽力した頃のような美術品への嗜好をもっていたようで、古書画の収集も行っていたという。

石谷町にある町田家の墓地は、風格もあり、静かな環境のなかで地元の方々に大切にされている。