2015年12月 鬼丸神社(日置市日吉町吉利)

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幻の宰相と称される幕末の名家老・小松帯刀。全国区の知名度を得るようになったのは、やはり大河ドラマ「篤姫」がきっかけといえよう。

ゆかりの地である日置市吉利には、現在でも多くの人々が訪れている。

その吉利には、小松家と関係の深い神社がある。そのひとつが鬼丸神社である。

ちなみに小松家は元々禰寝(ねじめ)姓を名乗っていた。その禰寝氏が吉利の地を与えられたのは文禄4(1595)年のことで、豊臣政権により大隅半島の根占から移封された。

その際に、鬼丸神社も根占から現在地に勧請されている。

鬼丸神社の御祭神は、禰寝氏の当主のなかでも隆盛を極めた禰寝重長であり、禰寝氏にとってはもちろん、その家来衆にとっても大切な神社であった。ちなみに、現在の南大隅町根占にも鬼丸神社はあり、鎮守の森の植生が文化財として大切に保存されている。それだけに、小松帯刀も領主として吉利郷を訪れた際には参拝に訪れている。

また、この神社には鹿児島でも有名な伝統行事が継承されている。それは「せっぺとべ」と呼ばれるもので、隣接する日置郷の八幡神社でも行われる田植祭である。6月の第2日曜日になると、神社前の御神田には水がはられ、白装束の人々が泥の田んぼを飛び跳ねるという珍しい行事。このことは江戸後期に編纂された三国名勝図会にも記載されていることから、小松帯刀も存在は知っていたといえよう。

家老に就任すると、多忙を極める小松帯刀は、なかなか領地を訪れる機会を設けることができなくなった。それでも領地に先祖を祭る神社が、地域の人々によって大切に守っていることは、おそらく心の支えとなっていたに違いない。