2014年9月 寺島宗則ゆかりの田の神(阿久根市脇本)

201409

今年(2014年)7月、いちき串木野市羽島に薩藩英国留学生に関する記念館が開館した。

慶応元(1865)年にこの地から英国に向けて、19名の使節団や留学生などが出発したことを記念してのことである。国禁を犯しての渡航であったが、その際、引率者として留学生を導き活躍した人物が、松木弘安こと後の寺島宗則である。

松木弘安は、天保3(1832)年に現在の阿久根市脇本に生まれた。生家は長野家だったが、後に松木家に養子に入る。松木家は医者の家であり、養父とともに長崎に遊学、蘭学や医術を学び、さらに14歳で江戸でも蘭学を修めている。安政4(1857)年には、島津斉彬の待医となり、集成館事業で技術書の翻訳などを担当した。薩英戦争では、イギリス艦の捕虜となるなど、留学生引率に至るまでもなかなか波乱に富んでいる。

さて、阿久根市脇本には養子に入った松木家の屋敷が残っている。その屋敷の片隅に田の神が祭られており、これは嘉永元(1848)年に長崎へ遊学する弘安の無事を願って、養母が建立したと考えられる田の神である。

石像には「松木弘安母」の字が刻まれていて、遠くへ向かう息子の無事と成功を想う気持ちが込められているようである。その母の想いがつながったのか、松木弘安は英国での務めを果たし、さらに明治政府でも外務卿を務めるなど活躍する。

屋敷の目の前の海には、寺島という小さな無人島が見えるが、これが明治になってから名乗るようになった寺島姓の由来である。外交という国家の重責を担う人物を支えていたものの中に、素朴な故郷の風景があり、育ての母の想いもあったのではないだろうか。