2017年9月 西郷石(日置市吹上町永吉)

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吹上浜から車で15分ほど山間部へ入ったところに坊野地区がある。この地域には、西郷隆盛が明治6(1873)年に新政府の職を辞して戻ってきてから度々狩りに訪れたという逸話が数多く残っている。それは、坊野地区に生まれた坊野ヨシという人物が、西郷家に仕えていたという縁がきっかけである。

ヨシは、西郷に坊野が良い狩場であることを伝えており、それを聞いた西郷は明治7(1874)年の秋頃に犬を2~3匹連れて来たという。坊野を訪れた際に宿所にしたのはヨシの家で、そこにはヨシの主人である仁太と娘のアサが暮らしていた。

現在も訪れた西郷が使用したといわれている手水鉢が残されている。

アサの証言によると、西郷が訪れた際の格好は、木綿の服にわらじ履きであったという。

地元には狩場となる坊野一帯を案内する人物がいて、狩りから戻ると石製の風呂に入浴したりしたという。

西郷が滞在していた家から、さらに山奥へと入った場所に「西郷石」がある。

これは狩りの際に西郷が腰掛けて休憩したといわれる石で、縦が3メートル、横が2メートル、高さが1メートルもある大きなものである。

地元に伝わる話によると、狩りをした後に西郷がここに腰掛けていると、地域の人々が集まってきて、西郷の話を聞いたという。また、すぐ近くを流れる二俣川では魚釣りもしていたという。

現在もうっそうとした木々に囲まれているが、地域の人々の尽力によって、石までは行きやすくなっている。

さて、このような坊野地区と西郷との縁から、西南戦争が勃発した明治10(1877)年の5月初め頃には、西郷の家族、つまり妻の糸子とその子である寅太郎や牛次郎など12人が一時避難という形で訪れたという。その後、8月になると西別府にある野屋敷へと戻り、9月24日の西郷の最期の日を迎える。

西郷が腰掛けた大きな石に、この地に滞在した家族も触れることがあったのだろうか。実際に腰掛けてみると感慨深いものがある。