2017年11月 山ヶ野(永野)金山・九郎太郎橋の橋脚(薩摩郡さつま町永野)

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来年の大河ドラマの原作本である「西郷どん!」は、西郷隆盛の息子・西郷菊次郎が父を回顧するかたちで話が展開される。父が最期を迎える西南戦争に従軍し、小説のラストでは延岡で別れる様子と会話が印象的に描かれている。

西郷菊次郎は、西郷が奄美大島に潜居した際に結婚した愛加那こと龍愛子との間に生まれた子である。誕生は文久元(1861)年1月2日のことであった。

その後、明治に入って鹿児島に引き取られてアメリカに留学し、西南戦争に従軍。右足を切断する負傷をするが、明治28(1897)年には台湾の宜蘭庁長、明治37(1911)年には京都市長と要職に就く。最後の仕事が明治45(1912)年からの山ヶ野金山鉱業館長であった。

当時の山ヶ野金山は、島津家によって経営されていて、前任の鉱業館長は、五代友厚の養子である五代龍作であった。

西郷菊次郎の鉱業館長の就任期間は約8年であったが、さまざまな業績を残している。

ひとつが鉱石運搬のためのトロッコ電車道の充実で、九郎太郎川に架かる木橋の強度を高めるために鉄橋に架け替えを行った。

次に米麦や日用雑貨品の特売所の設置のほか、地域住民の娯楽慰安のための金山倶楽部も建設した。

また、青少年の健全育成のために武道場を建てて、夜学校も開校するなどした。

さらに、一般住民にも剣術や射撃、弓道を教える機会も設けている。

このような菊次郎の活動は、現在まで継承されていて、毎年「西郷菊次郎顕彰剣道大会」が開催されている。

こうした西郷菊次郎の足跡を静かに伝えてくれる遺構のひとつが九郎太郎橋の橋脚である。

見事に積み上げられた石製の橋脚の上をトロッコ電車が坑口から精錬所へ金鉱石を載せて走っていた。残されたのは橋脚だけだが、そびえる遺構を眺めていると当時の様子が目に浮かぶようである。

西郷菊次郎にとって最後の仕事となった鉱業館長の足跡に、仕事にも人材育成にも力を注いだ父・隆盛の想いが反映されているようだ。