2018年3月 西郷隆盛の龍郷滞在、二軒目の家跡(大島郡龍郷町龍郷)

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西郷隆盛が奄美大島の龍郷に到着したのは、安政6(1859)年1月12日のこと。

場所は阿丹崎と呼ばれる港で、砂糖積船の福徳丸による入港であった。出迎えには大島代官所の附役であった木場伝内などがあたったという。

到着直後、西郷は龍郷集落にあった空き家に入ることになる。これは、同じく大島に流されていた美玉新行という人物が有するもので、美玉は空き家以外にも田畑をいくつか所有していたという。その場所は現在、空地になっていて家の痕跡を確認することはできないが、西郷はここで自炊生活を約2か月間行ったという。

島で暮らし始めたばかりの西郷は、なかなか島の生活や集落の人々と馴染むことができず、気苦労も多かったようであるが、島の郷士格で名家の龍家の本家がある場所に転居することになる。

この二軒目の家は小浜と呼ばれる集落にあり、初めて滞在した龍郷集落からは小山をひとつほど隔てたところにある。屋敷は高いサンゴの石垣が張り巡らされ、一見すると城郭のような雰囲気もあったという。その石垣は琉球から職人がやって来て積んだともいわれ、ハブも入れないくらいの精巧な積み方をしているという。

現在、サンゴの石垣の一部が屋敷跡に残されている。また山麓から水が屋敷に引かれ、池も成しているような風流さもあったという。西郷は、この屋敷の奥まった離れで生活することになる。

当初、西郷の身の回りの世話は、龍家に仕えていたコムルメと呼ばれる下女が担当していた。その後龍家の愛こと愛加那と出会い、安政6(1859)年11月8日に龍佐民と石千代夫妻の媒酌によって結婚する。

つまり、ふたりが結ばれて生活した家も大島での二軒目の屋敷ということになる。ここでの生活は長く、文久元(1861)年1月2日には、菊次郎がこの家で誕生する。

初めは鬱屈していた大島での生活に光が差し、愛する女性と出会い、子供にも恵まれた家。西郷にとって「再生の家」とも呼べる二軒目の家であった。