2018年7月 赤髭山(大島郡龍郷町)

201807

龍郷町の南西地区は荒波地区と呼ばれ、特に冬には北風が強く吹き付ける地域とされている。

この地区にある円集落背後には赤髭山と呼ばれる小高い山があり、長雲峠に向かって伸びている。

最近龍郷町で確認された新史料によって、ここに西郷吉之助が狩猟目的で入山したことが確認された。

安政6(1859)年1月12日、藩命によって「安政の大獄」から身を隠すようにして、西郷吉之助は龍郷湾に到着した。その際には「菊池源吾」と名前も改めており、到着当初は島人ともうまく交われずにいた。

2月13日付けの大久保正助(利通)などへ宛てた手紙からは、慣れない島の生活に不満を漏らす様子がみてとれる。

ただ、この手紙の最後には「鉛御恵投別て有難く、鬱々として罷り在り候間、只独りにて鉄砲打方共いたし、間には小鳥狙い等にて、狩など誘われ参り候処、誠に難場、雲を見申し候。」とある。要約すると、退屈しのぎに火縄銃で小鳥を打つなどしたり、島の人々に狩りに誘われて大変な山を登ったりするなどしているから、鉛弾を送ってくれたことが非常にありがたいとある。つまり、狩りで急斜面の山々に出かけていたことが理解できる。

昭和12年に刊行された「南洲翁逸話」には、島での狩りにおける失敗談が掲載されている。

それによると、一日中狩りに出かけた際に暗くなってしまい、西郷は提灯を灯して猪が来るのを待っていたという。すると島の人々が来て、提灯を灯しているところに猪が来るわけがないですと西郷をたしなめたという。西郷は「暗くて見えないから提灯を灯した」と笑って答えたという。

また、目の前に現れた大きな猪に「大きな猪じゃな」と感心するばかりで銃を手にしていることも忘れていたという逸話も紹介されている。史実かどうかはともかく、狩猟に出かけたことは確かなので、このようなことがあってもおかしくはない。

赤髭山は西郷が暮らした龍郷集落からも近い。また頂上からは龍郷湾や東シナ海の両方も一望できると考えられる。狩猟の成果は芳しくなかったにせよ、奄美大島の雄大な自然は満喫していたようである。