2020年1月 徳重神社(日置市伊集院町)

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徳重神社は、島津義弘を御祭神とする神社としてたいへんよく知られている。特に、義弘の遺徳を偲ぶ妙円寺詣りでは境内において様々な行事が行われ、たいへん賑わう。

当社は明治2(1869)年の廃仏毀釈において廃寺となった義弘の菩提寺である妙円寺の本堂などがあった場所にある。ただ妙円寺は明治14(1881)年に、当社の近くに再興され現在に至っている。

さて、その妙円寺詣りは、成立した年代に関しては確かな記録がない。ただ、江戸後期には鹿児島城下士を中心に行われていたようで、大久保利通の嘉永元年の日記には、西郷隆盛らと甲冑を纏い夜間遠行したことが記されている。鹿児島の三大行事と称されているが、案外起源がはっきりしないというのは興味深くもある。

現在の社殿近くには、古い石灯籠が立ち並んでいる。

それらをよく観察すると、妙円寺が当地にあった頃に奉納された石灯籠であることがわかる。なぜなら島津家の一門家の方々が奉納し、今和泉家や垂水家などのご当主の名前が刻まれているからだ。当主は江戸後期の方々であることから、島津義弘は江戸時代を通じて崇拝されていたことも理解できる。

他にも境内には、義弘が家臣にも慕われていたことを示す供養塔が立ち並んでいる。

それは十三基の地蔵塔で、義弘のために殉死した家臣らの供養塔である。建立したのは義弘の息子であり初代藩主となった家久で、寛永9(1632)年のこと。殉死は禁じられていただけに、殉死者の家禄は一時没収されたが、その志は認められることになり菩提寺の境内への建立に至ったということである。

供養されている人物を挙げると、例えば木脇祐秀がいる。小弁慶と称されていて、朝鮮出兵の際に負傷して海に転落したところを義弘に救われて手ずから治療まで施された人物である。それだけに義弘への忠誠心は絶大であったのだろう。

ぜひ、徳重神社と再興された妙円寺、さらには供養塔などもお参りしていただき、400年という時を越えて慕われ続けている義弘という人物に触れてほしい。