2020年9月 錦江湾横断遠泳

202009

今年は新型コロナの感染拡大の影響により残念ながら中止となったが、毎年夏になると、鹿児島市の松原小学校と清水小学校の児童による錦江湾横断遠泳が話題となる。桜島の小池港から磯海水浴場までの約4.2キロもの海を、子供たちが懸命に泳いで渡る姿に心打たれる方々も多いのではなかろうか。

こうした感動の横断遠泳が学校行事として開催されてきたのには、学校関係者、指導の先生方、保護者、何より児童たちのがんばりがあってこそだと思うが、両校それぞれの歴史がある。

最初に錦江湾の横断遠泳を行ったのは清水小学校で、大正6年7月29日のこと。

出発は鹿児島市街地側の祇園之洲で、桜島側の袴腰裾に到着。約1時間休憩した後に祇園之洲に戻ってくるコースで、当時は往復の遠泳であったとのこと。また現在とはコースも微妙に違ったようである。

その後、清水小学校の遠泳は太平洋戦争の激化に伴い中止される昭和18年まで毎年開催されるが、コースは固定ではなく、藤野から祇園之洲コースや、三船や花倉の海岸沿いを泳ぐといったコースも採用されていたようである。

さて、もうひとつの松原小学校は、大正15年7月27日が第1回目の開催であり、戦前は昭和6年まで開催されていた。ちなみに当時のコースは、洲崎(現在の鹿児島市錦江町)からの横断であった。両校とも学校近くの海岸が出発点になっていたことがわかる。

戦後になって、両校とも横断遠泳を復活させることになるが、最初に行ったのは松原小学校で昭和41年8月25日のことである。その時の参加児童は40名で、翌年から徐々に完泳者も増えてきた。清水小学校は、昭和57年7月27日に戦後の第1回目となる横断遠泳を復活させ、児童72名が完泳した。

両校とも遠泳の所要時間は1時間半から2時間弱が平均的であるが、波風の影響を受ける錦江湾だけに天候などによって左右される年もあった。松原小学校は、昭和62年8月1日の大会において所要時間が3時間30分、清水小学校では平成9年7月28日の大会が2時間29分という年もあった。

戦争による中断を経ながらも受け継がれてきた錦江湾横断遠泳。

子供たちの元気な声が響かない浜辺は寂しい。両校にとっても大切な伝統行事が来年は復活されることを切に希望したい。