2012年12月 仙巌園濾過池(鹿児島市吉野町)

201212

1658(万治元)年、第2代藩主・島津光久の命により造られた仙巌園は、今でも鹿児島を訪れる観光客でにぎわっている。

かつて薩摩藩が錫の一大産地であったことを示す錫門、琉球王国から贈られた望嶽桜など、他の大名庭園にはみられない独自の交流が反映された見どころも多い。その中でも、庭園と多くの近代化産業遺産が“同居”している点は訪れる者の関心を惹きたててくれる。

この濾過池は、1907(明治40)年に竣工したもので、面積は21㎡、深さ2.4m。和風をモチーフとして切妻屋根となっており、溶結凝灰岩の利用に代表される“石の文化”の一端をうかがい知ることができる。

明治天皇にかわって全国を精力的に行啓していた皇太子(のちの大正天皇)が仙巌園を訪問することになり、良質な水道水を園内に供給するために建設されたという。濾過池の下面に延びた石造の水道管から取水し、砂利層を透過させて十分な濾過工程を経て、園内に水道水を供給した。2001年に国の登録有形文化財となっている。

この他にも、集成館事業末期に関連施設に電気を供給した水力発電用ダム跡もお薦めの遺産。明治25(1892)年に稼働を開始し、庭園池である曲水の庭から流水を貯め、そこから落差を利用して水車タービンを回すというユニークなものであった。