2011年5月 福昌寺跡(鹿児島市池之上町)

201105

市立鹿児島玉龍中学・高校の校舎を裏手にすすむと、島津家歴代当主の墓所であることを伝える、高さ3mはあろうかという林立する大きな石灯籠がみえてくる。

福昌寺は、1394(応永元)年に石屋真梁和尚により開山し、7代当主・島津元久が代々島津家の菩提寺とした。

南九州全体の僧侶を監督する僧録所および勅額所として、つねに1500人を超える修行僧がいたという。

また、西日本各地に末寺をもち、山口市にある国宝・瑠璃光寺もそのひとつであった。

1549(天文18)年、ザビエルが稲荷川河口から鹿児島に到着。福昌寺を宿泊所とし、キリスト教の布教活動にあたった。

そのときに交友を深めた忍室和尚、西郷・大久保が城山にあった誓光寺の座禅石で若き日に精神修養する道を開いた無参和尚など、歴史の舞台に登場するさまざまな人物にもゆかりの多い寺院であった。

明治初年に薩摩藩領内に吹き荒れた廃仏毀釈により廃寺となるが、墓所は往時のまま残った。

石垣や石段、蘇鉄や杉・楠木が鬱蒼と繁る雰囲気といった古刹の面影が残る場所は県内でもほとんどなく、貴重なものといえる。