2011年8月 加治屋町の武家屋敷(鹿児島市加治屋町)

201108

鹿児島市は城下町起源のまちでありながら、薩英戦争・西南戦争・太平洋戦争と三度の戦禍を被ったこと等の理由で、近世の建築物がほとんど現存していない。

そんななか、多くの偉人を輩出した加治屋町に、二つ家とよばれる武家屋敷が再現され、観光客の目を引いている。

薩摩藩の下級武士が暮らした典型的な造りで、床の間に畳敷きの部屋からなる「おもて」と、板の間や土間など日常生活を送るスペースの「なかえ」の二つの屋根が樋の間でつながって一棟になっている。

加治屋町は西郷・大久保をはじめ、多くの偉人を輩出した地として知られるが、両雄とも城下士のなかでは下から二番目の御小姓組という家格の生まれで、このような屋敷に家族が身を寄せ合い暮らしていた。禄高もわずかであり、内職や農業による自給自足で何とか生活を維持せざるを得なかったという。

加治屋町には、吉井友実(日本鉄道社長)、「陸の大山、海の東郷」と称された大山巌・東郷平八郎、山本権兵衛(内閣総理大臣)など錚々たる先人たちの誕生地碑が点在している。

彼らは、質素な生活を象徴する屋敷に暮らしながら、志を高く持ち続けたのである。