2011年10月 薩摩切子燈(鹿児島市武1丁目)

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薩摩藩は、18世紀後期に吉野・山川・佐多に薬草園を置き、薬の製造に力を注いでいた。

10代藩主・島津斉興は1846(弘化3)年に騎射場の地に製薬局を創設し、そこで必要になった薬品用の硝子容器を自給するべく、江戸から四本亀次郎を招き硝子製造の強化に努めた。次代の斉彬は1851(嘉永4)年に紅硝子の製造に着手し、翌年に日本で初めての製作に成功した。

のちに磯地区の集成館に製造が集約され、薩摩切子をはじめ板硝子や容器類の製造に百名超の職人が携わっていた。特に紅硝子は「薩摩びーどろ」として他藩での人気も高かった。

しかし、1863(文久3)年の薩英戦争により集成館は大きな打撃を被り、本格的な製造は途絶えた。

その後、1985年に磯の地で復元の試みが始まり、幻と言われた薩摩切子の技術は現在によみがえった。色硝子を重ねることで生まれる「ボカシ」とよばれる美しい色合いの変化や、カット文様の美しさに特徴がある。

中央駅西口のシンボルとなっている薩摩切子燈は、2004年3月13日の九州新幹線暫定開業にあわせて除幕された。

薩摩切子の色あいやカットをモチーフとして、桜島から上がる噴煙を表したものである。