2010年12月 龍馬夫妻の像(鹿児島市大黒町)

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1866(慶応2)年旧暦3月10日、龍馬夫妻は蒸気船で鹿児島港に到着。そこから船で隼人町の浜の市港に向かい、17日から約2週間、塩浸温泉に逗留。28日には、栄之尾温泉で療養中の小松帯刀を見舞った。そのとき、お龍が霧島登山をしたいとせがんだという。

高千穂峰は霊峰とされ、気軽に飲食することは禁止されていたため、帯刀は弁当のかわりに「加須底羅(カステラ)」を持たせた。

当時、鹿児島銘菓の1つにカステラがあったことが、天保年間に刊行された『三国名勝図会』に記されている。

29日、高千穂登山を果たし、山頂の天の逆鉾を引き抜いたというエピソードは、あまりにも有名である。

霧島滞在の期間、「霧島茶」の美味を存分に楽しんだともいわれ、今でも鹿児島県は全国有数のお茶どころとして知られる。

4月12日に鹿児島城下に戻り、6月2日まで小松帯刀の別邸(鹿児島市原良)や上町に滞在した。この間、具体的にどのようなものを食べたかの史料は発見されていないが、おそらく、地鶏や焼酎、そして黒豚に舌鼓を打ったのではないだろうか。

2010年9月、いづろ付近の港から船で浜の市港に向かったといわれていることから、いづろ交差点に夫妻の像が設置された。