2011年2月 勝海舟歌碑と常夜灯(鹿児島市上竜尾町)

201102

1868(慶応4)年旧暦3月15日、西郷隆盛と勝海舟の会談により江戸城の無血開城が果たされた。

これは、世界最大の人口を誇った100万都市・江戸を戦禍から救うこととなった。

「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがまにまに 果てし君かな」

この歌は、会談をきっかけに親交の深かった西郷の死を悼み勝が詠んだものである。

旧鹿児島城下が60年ぶりの大雪に見舞われた1877(明治10)年2月15日、薩軍の一番大隊が鹿児島私学校横の練兵場を出発し、西南の役が始まった。勝は、結果として私学校生徒らに身を委ねる形で同年9月24日に城山の露と消えた西郷の心境を、この31文字に凝縮させたといっても過言ではないだろう。

1939(昭和14)年5月、東京市は西郷の決断がのちの「大東京殷盛(いんせい)の基」になったとして、感謝の意を表すため鹿児島市に常夜灯を贈った。

歌碑とも素材は鹿児島に豊富な溶結凝灰岩の一種である花棚石で、西郷を祀る南洲神社・南洲墓地(浄光明寺墓地)の一角に建てられている。敷地を接して、西郷南洲顕彰館があり、西郷の直筆書幅や遺品、西南の役に関する実物資料(銃弾や旗など)を見学できる。