2020年12月 大関川原嘉助翁の碑と力石(西之表市安城)

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西之表市の東側に位置する安城地区には、江戸時代には芦野牧という牧場があった。

ここでは珍しい馬が飼育されていた。後に「ウシウマ」と呼ばれる珍種のことである。天和3(1683)年に、種子島家18代の久時が藩主の島津綱貴から「たてがみと尾は牛に似ているが形状は馬」を5頭頂戴し、飼育が始まったとされている。その後明治初期には50頭にまで繁殖したと記録されているが、現在は骨格が鹿児島県立博物館に保存されているのみである。

そのような地区の山手には、地元では相撲の神様として知られている岡山神社がある。御祭神として、安城の地頭をしていた羽生右京能房とその家族、そして河野又四郎が祭られている。

河野又四郎は、島の西側に位置する納曽の士族の家に生まれ、相撲で名を馳せていた。

羽生右京の娘の安姫は、そんな又四郎に思慕し、ふたりは恋仲になった。しかし羽生右京は身分が違うと反対、安姫は聞き入れずに島の反対側に住む又四郎の所に向かった。それを聞いた羽生右京は家来に命じて、安姫を殺害してしまい、そのことを聞いた又四郎は後を追うように自殺したという。

この悲話に関わる人物を地域の人々が祭るようになったのが岡山神社である。

又四郎が御祭神ということで相撲の神様として知られるようになり、江戸時代に島の草相撲で大関であった川原嘉助が奉納したという力石が境内にある。

川原嘉助は、天保14(1843)年に生まれ、草相撲で8回も大関を務めた。嘉助は岡山神社によく参拝し、嘉助が別の場所で相撲を取っていた時には、神社の境内では何故か太鼓や人々のどよめきが響いていたという。

嘉助は力石を浜から高下駄のままで約2.5キロの道のりを休まずに運んできたと伝わっている。長さは約80センチで、重さも約103キロもある。

相撲が好き、または相撲が強くなりたいという方で種子島に行く機会があれば、ぜひ岡山神社を参拝し、力石に触れていただきたい。