鹿児島とイタリアの歴史

鹿児島とイタリアの記録にのこる最初の接点は、1549年鹿児島に上陸した宣教師ザビエルから、最初に洗礼を受けた鹿児島の青年・ベルナルドに関係します。

ベルナルドは、教皇パウロ4世へ拝謁するためにナポリを経由してローマを訪れています。
日本人として初めてイタリアの地に降り立った人物は鹿児島出身の青年でした。

その後も、徳川幕府によって鎖国の政策が布かれる中、国交が禁止されていたイタリアの宣教師・シドッティが、1708年に屋久島南部の小島集落に上陸するなど、鹿児島とイタリアの接点には古い歴史があります。

さらにナポリ湾に望むベスビオ火山を有する鹿児島市とは、風景がとても似ていることから、鹿児島市は古くから「東洋のナポリ」と呼ばれています。

1955年頃から両市民間で交流が始められ、姉妹都市盟約の気運が高まったことから1960年に盟約が結ばれました。盟約締結後は、親善使節団の相互訪問や青少年の派遣、ナポリ通りの命名、鹿児島通りの命名など様々な交流を行っています。

鹿児島とナポリのあゆみ